恐怖は行動の最中に消える 前編
FROM:中村 仁
大阪の自宅より・・・
もう8月ですね。毎年、この時期になると思い出します。ちょうど17年前の今頃、ブラジルでサッカー漬けの毎日を送っていました。懐かしい。初日、サンパウロの宿舎に到着してまもなく、日本人がいないと聞いてめちゃ焦りました。
とにかく日本語が話せる人と探そうと、夜まで足が棒になるくらい歩いたことを昨日のように思い出します。家のピンポン鳴らして、「日本からきました。手伝ってもらえませんか?ついでにご飯食わせて」
なんて交渉してましたね。
また、外食先を確保しようとレストランに行って、ジェスチャーとポルトガル語ハンドブックを駆使していたら、二日目にして地域の飯屋を完全制覇!若かった。(笑)怖いものなかったのでしょう。
と、前置きが長くなりました。(長すぎ)今日はブラジル(サンパウロ)で体験した貴重な教訓についてお話します。少し長くなりそうなので、次回まで持ち越しになるかもしれません。
実は、練習初日中学生のチームに入れられてしまいまして・・・(高校2年生なのに)当時、日本はワールドカップに出てないため、日本人は結構舐められたのです。道楽でサッカーをやっていると、思っている人も多かったですしね。
悔しいので、一人で8点くらい取ってやったのですが。
次の日、突然コーチに呼び出されあるところに連れて行かれました。なんと、トップチームの練習場です。周りを見れば、プロ、プロ、プロですよ。「おおっー」なんて声を上げながら、話をさせてもらったり写真撮ったりしていました。
興奮しましたね。そうこうしているとコーチがこんな一言を。
「ヒトシ、練習試合でろ」
私:「なんですって?」
ということで、ここから日本に帰る数ヶ月の間に、何度かプロに混じって練習させてもらうことになります。あっ、一応ブラジルの2部リーグのトッププロでした。
今、地元新聞に掲載されたときの切り抜きが出てきました。(笑)我ながら勇ましく写っているではありませんか?ここが人生のピークだったかも・・・
再度話が脱線しましたが、「試合に出ろ」と言われた瞬間、突然、不安になってしまったのです。
▼「失敗したらどうする?」
▼「なんで練習試合に何百人も見ているんだ?そして荒れてる」
▼「日本人が出ていいのか?観客がこっち睨んでいるぞ・・・」
▼「相手はプロ、年齢も20歳前後で私より年上」
雰囲気に飲まれるとはまさにこのこと。恐怖におののいていたわけです。(日本語話せる人いないし・・・)交代選手が待つライン上で交代を待っているとき、ドキドキでオカシクなりそうでした。
両腕と両足がいっしょに出ているようなそんな気分。
「もういやだー」
と恐怖がピークに到達してちょうど全力でコートへ走り出した途端、私はある洗礼を受けることになります。そして、そこからすべての状況が一変します。ここで得られた教訓が、今の私を支えることになろうとはあの時は思いもよりませんでした。
あなたが最初の一歩を踏み出したいけど、なかなか行動に移せていないのなら、きっと役に立つ教訓になるのではないかと思います。続きはまた明日。